2019-03-28 第198回国会 参議院 外交防衛委員会 第7号
かつて、衆議院の、済みません、ちょっと予算委員会だったか外務委員会だったかは定かでございませんが、この問題の提起がされまして、外務省からローマ法王庁大使館に問合せをしたところ、ローマ法王という表記を引き続き用いているということでございまして、特に呼称の変更を求めていないようでございます。そういうことから、今、外務省的には駐日ローマ法王庁大使館という名称を使用しているところでございます。
かつて、衆議院の、済みません、ちょっと予算委員会だったか外務委員会だったかは定かでございませんが、この問題の提起がされまして、外務省からローマ法王庁大使館に問合せをしたところ、ローマ法王という表記を引き続き用いているということでございまして、特に呼称の変更を求めていないようでございます。そういうことから、今、外務省的には駐日ローマ法王庁大使館という名称を使用しているところでございます。
私の愛読しているある産経新聞のコラムによると、ローマ法王庁大使館、バチカンの大使館がございまして、その名称が実はカトリックの人たちにとっては余り望ましくないと。カトリック教会としては、日本語名称をローマ教皇と呼んでほしいというのがカトリック協会の公式な見解のようです。
○河野国務大臣 この件、御指摘がありましたので、直ちに駐日ローマ法王庁の大使並びに大使館及びバチカンに問合せをいたしましたが、いずれからも名称変更を求めていないという御返答でございましたので、特にその後のアクションはとっておりませんが、いずれの大使館からも名称変更の要請がありましたときには、外務省としてしっかり対応をする。
そのとき、終戦直後にローマ法王庁の駐日代表、バチカン公使代理も務めたブルーノ・ビッテル神父さんという方がいらっしゃって、この方がマッカーサーに対して、いかなる国家も、その国家のために死んだ人々に対して、敬意を払う権利と義務がある、そして、今、靖国神社は神道の単なる霊廟ではなくて国民的尊敬のモニュメントだ、神道、仏教、キリスト教、ユダヤ教、いずれの宗教を問わず、国家のために死んだ者は全て靖国神社にその
当時のすさまじいローマ法王庁の権威に反抗した。それを経たカルビンという人の予定説。これ勉強、まあささやかな私は勉強しかしていませんけれどもね、面白いんですよ。 予定説って、人間が地獄に行くか天国に行くか、そんなことは神様が予定してあるんであって、もうそんなことは人間に分からない。神様に聞くわけにいきませんからね。そうしたら、物すごくパニックになったわけですよ、西洋世界。
したがって、ローマ法王庁もこれを容認しておりますし、常識として本人の意思がある限り尊厳死は社会的に定着していると言って過言ではありません。 一方、日本はまだその法制化ができておりません。日本は、国会議員でありました太田典礼先生という方が中心になりまして、法曹界の人あるいは大学教授を糾合して日本尊厳死協会が発足しました。
そのときにローマ法王庁の方に話を聞いたところ、もしそういうことをしたならば、言わば信仰の自由に対する大変なこれは侵害になると、後世に恥を残すことになるという見識ある進言によって、まあそれを思いとどまったということでございます。 そして、その後のいきさつについては、占領政策の中にあってそうしたことが、そうした決定がなされたのだろうと。
私のふるさとである薩摩は、四百五十年前にフランシスコ・ザビエルという人が初めて日本では薩摩の地に上陸をして、薩摩から京都に行き、そしてローマ法王庁に手紙を書いたわけですよね。
その名残が今のローマ法王庁に、ローマ法王庁の番兵がいますが、あれはスイス人だけ使っていますね。ああいうのが方々に働きに行きました。 そして、その傭兵として働いたのを仕送りするとか、あるいは戦死して口減らしになるとか、そういうのがスイスの形態で、貧乏の代名詞みたいなものだったわけでありますが、今のような形態になりましてからは、そういう貧乏国でもやはり富が蓄積するんですね。
例えば、ローマ法王庁はしっかりと、これは命の始まりだと言っているわけですね。そういう意味なのか。萌芽というのは命の始まりの一歩手前なのか。こういった点は、私は言葉の意味にとらわれるつもりはありませんが、共通の認識としてきっちりと定義されているとはちょっととても思えない。
いわばそういう思いであるからこそ、総理が先般外遊をされたということにおいてローマ法王庁に創価学会の会長である池田さんの密書を届けた。
同時に、一九八七年三月のローマ法王庁の「起源から見た人間の生命の尊重と生殖の尊厳に関する指針」というのがございまして、これは受精の瞬間から生命が始まる、こういうふうになっております。
しかし、ローマ法王庁の言うことだけをとらえるのではありませんけれども、二週間で切るというのは、やはりどうも人間の尊厳とか生命の倫理ということからすると議論は起きるだろう。
ローマ法王庁でもいまごろコペルニクスの地動説を認めたが、そんなことは認めなくても世間が認めている、常識になっている。ばかばかしいことはいいかげんにしてもらいたい。そういう点において武器を持たなくともやはり真実は一つである。
今度のパウロ二世か、これは、やはり大地にぬかずいて祈りを上げて、コペルニクスの言ったことをローマ法王庁でも認めたです。
この和紙は世界的に有名でして、現在ローマ法王庁に毎年納められているというほど有名な和紙であります。この和紙の産業、あるいは最近は、吉野の杉割りばしの産地としても有名でございます。
あのときも一九六二年、キューバ事件のあとですが、池田さんがローマ法王庁をたずねたとき、奥さんと娘さんと一緒に行ったらしいのですが、三十五分間書斎の間でお目にかかったときに、ピオ二十三世はどういう質問を池田さんにしましたか。当時、池田さんは総理大臣ですけれども、あなたは金と銀と石では何を一番好みますかと言ったら、池田さんは石ですと答えたのです。それは六十点程度です。
イギリスあるいはローマ法王庁の例もわれわれよく知っておりまして、そういう点から、できるだけのことは考えたつもりでございます。 最後のお尋ねの賢所というのは、皇室の私有財産ということでございます。
と申しますのは、こういう話を非常に機が熟さないときに出しまして、一度強くノーの返事を受けてしまいますと、かえって何もしなかったよりむしろ悪いような状態が生まれる懸念もございますのでただいま、われわれとしましては、非常に回りくどい方法でございますが、国連あたりにおきまして、まあ世界の人口問題というような角度で考えてもらうというようなこと、あるいはローマ法王庁あたりが非常に熱心に考えておられるようでございますので
その第一は人口十五万四千人しかいないアイスランド、それから二万人しかいないモナコ、一万三千人のリヒテンシュタイン、一万三千五百人のサン・マリノ、一千人のローマ法王庁並びに五千二百人しか人口のないアンドラであります。
におきましては、先ほど申し上げたことを繰り返すようでありますけれども、やはり国力、国情に相応する自衛体制を整備するということが、やはり平和を維持するゆえんであると、これは何と申しましても歴史上の事実がどうもそういうことをやむなくせしめておるのでありまして、私よりも堀委員よく御存じだと思いますけれども、今世界に八十五、六の国がありましょうが、国防軍を持たないというものはごく小部分、小さな国でありまして、ローマ法王庁
昭和二十九年九月十八日 衆議院議長 堤 康次郎 決算委員長田中彰治殿 (別紙) 本月十八日貴院決算委員会に証人として出頭すべき旨御要求がありましたが、当日はローマ法王庁使節ヒユールステンベルク氏、ビルマ使節団長ウ・チヨウ・ニエン氏、西山大使等との会談、海外出張準備のため小澤建設大臣、木村防衛庁長官との打合等やむを得ざる公務のため出席致しかねます。